歌手であり、女優でもある南野陽子さん。
そんな南野陽子さんの実家はお金持ち?という噂があります。
それは本当なのでしょうか。
また、家族構成についても調査しました。
- 南野陽子の実家は金持ち?
- 南野陽子の家族構成
- 南野陽子の母親について
これらについて解説していきます。
南野陽子の実家は金持ち?
南野陽子さんの実家は金持ちだったと思われます。
南野陽子さんの実家、宝塚市に3億円の豪邸を建てたようですが、それは南野陽子さんの仕事が成功してからのこと。
親のために立てた豪邸だそうです。
南野陽子さんの出身地は伊丹市で、父親はサラリーマンだったようですが、南野陽子さんが小さい頃から習い事をしたり私立の学校に通っていたことから、裕福だったと考えることができます。
習い事はバレエ、ピアノ、習字、絵画、英語。
南野陽子さんが小さい頃は、ピアノか習字が多く英語やバレエ、絵画など珍しかったですね。
現在と南野陽子さんが小さい頃とは、相場も変わっていると思いますが、だいたい一ヶ月にかかる費用をざっと見積もってみました。
・英語教室:7000円〜15000円+教材費
・バレエ:10000前後+シューズや衣装代
・ピアノ:7000円〜+教材費
・絵画教室:5000円〜
ほどかかります。
これだけの習い事ができる家庭は、よほどお金に余裕がないと出来ないことでしょう。
また、小中学校と高校は
・尼崎市立塚口小学校
・松陰女子学院松陰中学校・高校
小学校は公立ですが、中学高校は私立の女子校。
高校は松陰女子学院高校から堀越高校芸能コースへ転校しています。
高校生の時にスカウトされ、父親の反対を押し切って上京したそうです。
高校2年の3学期から堀越高校に転校
最初は芸能界に興味がなかったそうですが、スカウトされ芸能界に入りたいという気持ちが強くなったのでしょう。
この時の同級生に、本田美奈子さん、岡田有希子さん、石野陽子さんがいました。
このような南野陽子さんの行動力、それを見守る両親、やはり金銭的に余裕がないとすぐにできることではないと判断できますね!
南野陽子の家族構成
南野陽子さんの家族構成は4人です。
- 父親
- 母親
- 本人
- 弟
父親について
南野陽子さんの父親は一般の方でした。
幼いころから父親が大好きだったそうです。
父親は「東京は危ない」と言い、芸能界入りを猛反対したそうです。
それでも南野陽子さんの意志は堅かったのでしょう。
それからは父親も陰ながら応援するようになったそうです。
そんな父親は2022年にお亡くなりになっています。
最後は高齢者の施設に入所していたそうです。
母親が先に亡くなり、父親を一人で実家においておけないという理由から、東京で一緒に暮らし始めたようですが、そこでも一人にしておくのが心配になり、神奈川の高齢者施設へ入所させたそうです。
父親は厳しかったけど、とても仲良く楽しく過ごせたと語っていました。
母親について
南野陽子さんの母親は気さくでとても明るくなんでも話し合える仲だったそうです。
そして、南野陽子さんには
迷ったときは、あったか〜い気持ちになる方を選びなさい
と教えていそうです。
迷ったときは、自分が得するほうではなくみんなが幸せになる方を選びなさいという事だそうです。
とても心が温まる教えですね、人のためになるような人間になれたら自分も幸せになるという教えなのでしょうね、ほっこりする言葉ですね!
南野陽子さんの母親は2011年に68歳で病気でお亡くなりになりました。
母親の教えは今でも南野陽子さんの心の中で生き続けているでしょう。
弟について
見ないの陽子さんに弟がいます。
一般の方なので、詳しい情報は明かされていません。
わかり次第追記していきます。
南野陽子の母親は美人で芸能界を目指していた
南野陽子さんの母親は
若い頃は芸能界を目指していた!
芸能界活動に向けて行動したという内容の情報は見つけられませんでしたが、キラキラした世界に憧れを持っていたのでしょう。
母親は南野陽子さんととても顔が似ていて美人だったそうです。
そんな母親だけに南野陽子さんの芸能界入りを後押しし、東京へ行って面倒を見ていたそうです。
南野が『笑っていいとも!』のレギュラーになったときは、“タモリさんに、私も会いたい”なんていって、自分のことのように喜んでいたそうです」
引用元:NEWSポスト セブン
自分と同じ気持ちになって話を聞いてくれる母親が南野陽子さんの心の支えになっていたことは確かですね
まとめ
南野陽子さんの実家はお金持ちだったと考えることができます。
幼いころから習い事も多く、私立の中学校や高校へ通っていたという事から推測できるからです。
南野陽子さんの家族構成は4人です。
- 父親
- 母親
- 本人
- 弟
厳しかったけど大好きだった父親、親友のような母親という環境で育った南野陽子さんは、とても幸せだったのではないでしょうか。